【すべては習慣から】7つの習慣(著者:スティーブン・コヴィー)


7つの習慣―成功には原則があった!



いきなり第七の習慣●刃を研ぐ

第七の習慣は、四つの側面(肉体的・精神的・知的・社会/情緒的)のそれぞれを再新再生させることである。
自分の持つ四つの能力をバランスよく伸ばすことは、刃を研ぐ習慣の目的である。刃を研ぐとは、基本的にはこの四つの能力のすべてを表現することである。つまり、自分の中にある自然から授かった四つの側面を、定期的に、一貫して、賢明に、バランスよく、磨き、向上させることである。

これを実行するためには、主体性を発揮しなければならない。刃を研ぐことは第二領域(重要であるが緊急でない)の活動であり、第二領域は、自ら率先して行わない限りは実行できない領域である。第一領域は、緊急であるがためにあなたに働きかけて、切羽詰まった状態を作り出す。しかし個人的なPCは、自然にできるようになるまで、つまりある意味で「健康的な中毒症状」を起こすまで、自ら働きかけなければならない。そして、それは自分の影響の輪の中心にあり、ほかの人に代わってもらうことはできず、自分のために、自分自身で行わなければならないものである。
これこそが、人生で唯一最大の結果を生み出す投資なのである。つまり、自分自身に投資することだ。つまるところ、人生に立ち向かうために、そして貢献するために使える道あ、自分自身しかないのであり、自分の出す業績はすべて、その道具を活用して作り出すものである。効果的に人生を営むためには、この四つの能力のそれぞれについて、定期的に刃を研ぐ時間をとらなければならない。

□肉体
肉体的側面で刃を研ぐことは、自分の身体を大切にすることである。バランスの取れた栄養のある食事をとり、十分な休養を心がけて、定期的に運動をすることである。
運動することで得られる最大のメリットは、第一の習慣である主体性という精神的な筋肉を鍛えることだろう。運動を妨げる様々な外的要因に反応せず、健康を大切にする自分の価値観に基づいて反応するとき、自己パラダイム、自尊心、自信、誠実さなどは深く影響を受けるに違いない。

□精神
精神的側面を再新再生することは、人生に自己リーダーシップを発揮することである。この側面の再新再生は、第二の習慣と非常に深く関係している。精神的な側面とは、自分の核であり、中心であり、価値観に対して決意することである。これは極めて個人的な領域であり、かつ、人生において最も大切なものである。

□知性
知的能力の開発は、そのほとんどが正式な教育によってなされる。教育(継続的に自分の思考能力を磨き、それを高める活動)は、知的側面の再新再生にとって必要不可欠なものだ。真の教育とは、人生のプログラムそのものを、より大きな疑問、目的、様々なパラダイムに照らし合わせる能力である。そのような教育を身につけず単なる“訓練”だけ受けていれば、視野は非常に狭くなり、その結果、訓練の根拠となっている仮定や前提を見つめることは決してないだろう。だからこそ、幅広い読書をすることによって、偉人の考えに接することが大切なのである。
定期的に優れた本を読むこと以上に、自分の精神を高め、養う方法はない。優れた書物を読むということは、社会に対する理解を高め、自分のパラダイムを拡大し、知的側面の刃を研ぐことである。
また書くことも、知的側面の刃を研ぐ強力な方法のひとつである。自分の考え、経験、思いつき、学んだことなどを記録として日記につけることは、知力の明瞭性、正確さなどを向上させる。

「いつの日か、いや何年か先のことかもしれないが、あなたは大きな誘惑と格闘し、あるいは人生の深い悲しみの重荷を背負い、その重さに震えることがあるだろう。しかし、本当の戦いは、“今”なのだ。どうしようもない悲しみや誘惑の日に立ち向かい惨めにもそれに敗北するか、あるいは栄光をもって勝利するか、それは今決まりつつある。人格は、地道な長期的なプロセスによってしか、形成できないものだからである」

□社会・情緒
第四・五・六の習慣を成功させるのは、知力より、主に情緒的側面であり、自分の内的安定性と自尊心である。自分の安定性を自分の中から得ている人は、公的成功の習慣を実行する力を持っていることになる。なぜならば、情緒が不安定な人は、いくら知力が優れていても、生活の中で大きな問題に直面し、その問題について違う考えを持っている相手と接した場合、第四・五・六の習慣を実行しようと努力したところで、相手の相違点を大きな脅威に感じてしまい、どうしても本当の相乗効果を生み出すことが出来ない。
では、この内的な安定性はどこからくるのだろうか。それは、他人が私たちのことをどう思うかとか、何を言うかとか、どう扱うかなどから、もたらされるものではない、ましてや、人から譲り受けた脚本に起因するものでもなければ、自分の置かれている状況や持っている地位からもたらされるものでもない。それは自分の中から生まれるものである。つまり、自分の精神と心に深く根付いた、正確なパラダイムと正しい原則に従って生活することから、もたらされるものである。